天候は雨。
高速を降りてから結構な距離あるんですねってつぶやきながら京都精華大学ギャラリーフロールまで行ってきました。
目的は友人のアーティスト森川穣が参加した展示会、「
風景の逆照射」。
"これは、美術、思想、宗教、建築、詩歌、科学など、多様な専門家が参加し、<風景>と<人間>の相関関係を捉え直すことで、自然や環境に対する近代的な固定概念を、相対化しようとする試みです。 "
と頂いた文庫本調の冊子に記されてあった。
ギャラリーに一歩足を踏み入れると目に飛び込んできたものはありました。
が、友人の作品を拝見しない事には他作品を集中してみれない事は自明の理。真っ先に氏の作品へ。
黒のカーテンの仕切りの手前にペンライトが3本。一番右を選んで中に入る。
同ギャラリー内とは思えないほどひやっとした暗闇でペンライトのスイッチを入れると壁に何か文字が描かれていることに気付く。しかも壁一面をびっしりと覆い尽くす様に。
それは濱田陽さん著『共存の哲学—複数宗教からの思考形式』からの一節を抜粋したものだった(もちろん僕は読んだ事ない)。
文字は鉛筆で描かれたもので、かといって手書きのそれではなく、ステンシルの様に印刷文字で規則正しい。
ペンライトで文字を追っていると、夜中にベッドの中で本を読んでいる感覚になったり。
ひやっとする寒さが厳格さを引き立てて、宗教画と対面している感覚になったり。
相変わらず期待を裏切らない作品でした。
少し前から氏と話していて感じたことは「言葉」に対する向き合い方。
今回の展示会前も「景観」と「風景」に関して話してくれたのを覚えています。
どんな作品になるんだろうかと期待していたら「言葉」そのものを作品にしていた。
自分の「言葉」ではなく、他人の「言葉」。
そこに懐の深さを感じた。
頂いた小冊子の中で氏が作家柏原えつとむさんに宛てた手紙に興味深い一節があったのでご紹介します。
"僕も大学の頃は、この『表現』をしていました。しかし、『表現』をしようとすればするほど自分がすり減っていくように思えて、卒業する頃には既に疲弊していたのを覚えています。ある時から、この『表現』という行為を一度投げ出して、改めて作品を作ってみたら、なんとも楽に作れるようになりました。以降、僕は何の表現もせずに作品を作りつづけています。要は、自分に表現したいことはないということに気づいたのです。"
今後このプロジェクトは形を変えて発展していくらしいのでこちらのサイトも是非チェックしてみてください。
studio90
*訂正
壁に書かれていた一節は『共存の哲学—複数宗教からの思考形式』ではなく、『共有文明とアジア』の一節を森川氏が濱田氏に編集をお願いしたものでした。